シャヒド・カーンが億万長者になるまでのストーリー
パキスタン出身のアメリカ人シャヒド・カーン氏の生い立ち
シャヒド・カーン氏は1950年7月18日にパキスタンパンジャーブ州ラホールの中流家庭に生まれました。
建築家になることを夢見て16才の時にイリノイ大学で学ぶために渡米しました。
しかしイリノイ大学の寮はまだオープンしておらず、余分なお金のなかったカーン氏はアメリカ到着の日の晩は2ドルでYMCA(キリスト教青年会)に泊まることになりました。
そして寮が開くまで、時給120円の皿洗いで凌いだのでした。
その頃イリノイ州では60cmの積雪を記録しており、カーン氏にとっては雪も含めて驚く事ばかりだったそうです。
無事イリノイ大学に入学したカーン氏は何を血迷ったか、大学でベータと呼ばれる男子学生社交クラブに入ります。
普通のスポーツのクラブとは違い社交クラブは主に由緒正しいアメリカ人子息のもので有色人種のカーン氏が入って楽しいところではありません。
しかしなぜか招待され、そして皆に好かれたようです。ここで得た人脈も彼の成功の秘訣になっているように思います。
Flex-N-Gateの買収を驚異的スピードでやってのける
イリノイ大学在学中から自動車部品製造会社Flex N Gate 社で働いていました。
そして大学卒業後はエンジニアディレクターとして同社に就職しました。
1978年にはピックアップトラックのカスタマイズバンパーの製造や修理交換用のバンパーの製造に乗り出します。自己資金16000ドルとスモールビジネス助成金からの借り入れ50000ドルでのスタートです。
そして二年後の1980年、カーン氏30歳の時に自身のパンパー会社を引っさげてFlex 社を買収し合併させます。
700万円くらいで始めた自分のバンパービジネスをわずか2年で会社を買収できるくらいに大きくしたわけです。
トヨタのバンパーにも大きく関わったFlex-N-Gate社
1980年以降、アメリカではこのようなツードアタイプのTOYOTAのピックアップトラックはバカ売れし、フレックス社も一部バンパーをトヨタに卸していたのですが、1989年にはトヨタのピックアップトラックの北米全ラインの単独バンパー提供会社になりました。
KAIZENを含めるトヨタ方式がフレックス社の成長に一役買いそれ以降売上高も17ミリオンドルから2ビリオンドルに成長しました。
1991年にアメリカ国籍を取得しました。
スポーツ団体を3つも所有しているシャヒド・カーン
アメフトのフロリダのジャクソンビルジャガーズのオーナーはシャヒド・カーン氏です。
小野綾子さんがチアリーダーとして活躍されたNFLのチームです。
イングランドプレミアムリーグに加盟するサッカーのフラムFCのオーナーもシャヒド・カーン氏です。
2019年、カーン氏の息子であるトニー・カーン氏がオールエリートレスリングの社長に就任し、シャヒド・カーン氏が主力投資家であることが明かされました。
シャヒド氏が事実上のオーナーといってもよいでしょう。
フォーブス長者番付2017では資産87億ドル
総資産87億ドルは2017年では世界158位。
日本のプロレス団体との交流もオールエリートレスリングはあるでしょうから日本でも少しは有名な存在になるかもしれません。
こらからもシャヒド・カーン氏の動向に注目です。