メディアが流す金持ちのイメージと真実の富豪の違い: 洗脳から解放される方法
マスコミが流したい金持ちのイメージと真の金持ちは同じではない。洗脳されないようにしよう
お金持ち、うらやましいですよね。でも冷静に考えると何がうらやましいのでしょうか。
ワープア太郎です。お疲れ様です。
一般の人はお金持ちのイメージを何から得るかというとマスメディアです。なかでもテレビの力は絶大です。映像で見ることができますから。
メラビアンの法則というものがあります。
人間が影響を受けやすいのは視覚情報からが一番多く全体の55%なんだそうです。言語情報がわずか7%、聴覚情報は38%。
テレビ映像がどれだけ人を洗脳するのに役立っているかわかります。芸能人が出ているバラエティー番組ばかり見ていると、彼ら芸能人だけ裕福になり見ている人々はもっと貧しくなります。
いつまでもテレビという終わったコンテンツにしがみつくのはやめて、情報は能動的に取りに行くようにすべきです。
資本主義も終焉を迎えようとしている今、マスコミや芸能人やセレブを追っかけていると取り返しのつかない貧困に喘ぐようになるかもしれません。
テレビで見るセレブやお金持ちは本当の資産家のイメージからは遠い?
テレビに登場するバブリーなお金持ちの皆さんはその派手で人目を引くお金の使いっぷりを広告として自らをブランディングしている方も多くいらっしゃるように思われます。
タワーマンションに住み、高級外車を乗り回し、高級レストランで食事をする。これらの分かりやすいお金持ちイメージであれば注目を浴びますし、広告費として効果も出て、自身のビジネスだったりを拡大させることを可能にします。
最近だと三浦瑠麗さんがそうですね。
自身のライフスタイルが広告となりそれにより経済効果が得られるので大変お得といえます。
しかし、それを見た一般視聴者さんが、私もあんな素敵なブランドのバッグが欲しいとか、俺もあんな外車に乗りたいと背伸びして清水の舞台からバンジージャンプするようなことがあると、一生お金持ちにはなれないかもしれません。
最近ではSNSを利用して、一般の人々も自らをブランディングし特に女性は「キラキラ化」し、お洒落なレストラン、ホテルのラウンジ、海外旅行、お洒落な服や鞄のアピールが激しく、あなたもこのビジネスをはじめませんか?的な手法も誰から教えてもらったのか流行しています。
そのような輩からツイッターのダイレクトメールやライン@に誘導しようとするメールに辟易する方も多いのではないでしょうか。私もその一人です。
港区女子なんて言葉もかつてもてはやされました。
高額塾に入って塾長の指示に従っていると思うのですが、そうやって浪費しキラキラに見せかけているだけで儲かっていないケースが続出したのです。
結局儲かるのは塾の主催者だけなのです。
楽して儲けるためには、まず自分を派手に見せてスキマ時間でちょこっとこんなことをするだけでこんなライフスタイルを送ることができるよ!知りたかったらこの教材買いなさい!と主催者になることです。
教材の中身は限りなく無価値で、あなたも私の真似をして無価値な教材を高値で売れば私のようにもうかるよ!というシステムです。
20代のシングル女性の相対的貧困率は50%を超えるといいます。虚構のきらびやかさに騙されてこのような物に手を出すと相対的貧困から絶対的貧困に自身を追いやる羽目になるかもしれません。シングルマザーの相対貧困率は54%です。
本当のお金持ちは見せびらかすようなはしたないことはしない
一般的には、多くの富裕層は地味な生活を送る傾向があり、お金を見せびらかさないことが多いです。この現象は、しばしば「富の隠れ家」とも欧米では呼ばれます。
富裕層が金持ちアピールをしない理由の一つにプライバシーを守る観点があります。富裕層は、自分たちの財産や富を広く知られることを望まないことが多いです。これにより、プライバシーを保護し、誘拐や詐欺などの犯罪から身を守ることができます。
また、見せびらかさない富裕層は、賢明に資産を運用し、財産を維持・増やすことに重点を置いていることが多いです。これにより、長期的な経済的安定を確保することができますしそれを狙っています。
下品な趣味で悪目立ちすることはみっともないですし、世間のやっかみも怖いのでなるべく隠します。d
ですから彼らは全くテレビ向きではありません。テレビでもてはやされるのは一代で富を築いて豪遊しているような人ばかりです。そしてテレビに出ることで箔が付き瞬間的に彼らのビジネスを加速させます。彼らとテレビ局の関係はWINWINなのです。
一点豪華主義は時により貧乏が際立つ恐れもある
本人さえ好きでそうしているのなら誰も口を挟む権利はありません。
ですが、野次馬根性で敢えて挟んでみましょう。
例えばよれよれのスーツに同じくよれよれのネクタイで、靴は磨かれていなく、靴底は減っている。このようなスタイルに高級腕時計は合うでしょうか。
ピカピカに磨かれた高級外車ですが、止めてある場所はボロアパートの屋根なし駐車場。本人が住んでいるのですが、ご近所さんからはそこに美しくて貧しく若いお嬢さんがいて、外車の持ち主が囲っていると思われていたり。
画像:スラム街の高級車
憧れの外車を買うために、もやしとインスタント麺で節制してやっと手に入れたという話をきいたりします。
それはそれで本人さえ満足なら本当に結構なお話なのですが、周りから、奇異の目で見られることだけは覚悟しておかねばなりません。
見分不相応な身なりや生活はどうしてもアンバランスで時には見苦しい気分に相手をさせることもあります。
また女性であれば、小さくて何も入らずバッグとしての機能に乏しいものにアクセサリーとして高いと100万ものお金をかける価値が本当にあるのでしょうか。投資目的なら話は別ですが。
商品の機能と価格、そして所有することの物理的メリット(優越感を除く)があるのかどうか見極める能力が必要です。
最近ではブランドバッグレンタルが流行っているそうですが、購入するよりはずっと経済的で賢い行動だとは思います。
ですが、もう一歩先にいけばブランドバッグなどいらない!になるべきです。
身分相応である人がヨーロッパでは高級ブランド品を買います。
フランス人女性なども一般の方はブランド品で身を固めるというような事をしません。自分には不釣り合いだと感じる人は買いません。もしそうすれば「痛い人」と周囲に見られてしまいます。
先ほどのメラビアンの法則で見た目が55%と言いましたが、ブランド品で着飾らなくてもセンスの良い綺麗な格好をしていれば十分だと思います。ユニクロではないにしても。
特に中高年は何が自分の幸せなのかをもう一回考えるべき
お金は確かに大切です。お金さえあれば大抵の不安は取り除けるかもしれません。特にお金の無い老後は考えただけで身震いしてしまいます。
しかし稼げば稼ぐほど幸福になるかといえばそうもいえないらしいのです。
よく耳にする話で、年収が800万円を超えるとそれ以上稼いでも幸福感を得られないというものです。
もしくは結婚していれば世帯年収が1500万円を超えるとそのように感じるようです。
住宅や子供の塾、家族旅行など達成したかったことができてしまうため、それらのランクをそれぞれ上げていくこと位しか楽しみがなくなってしまいます。
森鴎外の娘である森茉莉も「金を使ってやる贅沢には創造する歓びがない」と言いましたがまさにそれが全てを言い表しています。
大金持ちではなくサラリーマンで年収が高い方は多忙である傾向が高く、森茉莉が言うような創造する贅沢はお金ではなく時間と心の余裕が必要なため達成できません。お金による贅沢しかできないわけです。しかし創造性がないため飽きて面白くなくなります。よって幸福感をえられないのです。
ともかく、スポンサーありきのテレビが伝えるお金持ち像は庶民の購買意欲を煽るためのものが多いように思います。というかそれが全てではないでしょうか。
特に人生最大の買い物である住宅については購入するかどうか
で迷うべきです。
最近の若者は消費しないといわれていますが、、。
最近の若者は恋愛もしないし車にも興味がないなどと言われています。
昔と違って稼ぎも少なくなっていますので、年配の方と同様の消費をできないのは当然です。
プラスして今の若者はテレビも新聞も読まない方が増えているのでマスコミの影響を受けない世代といえます。
つまり下らないドラマなんかの影響を受けない賢い世代とも言えるわけです。
ですが、そもそも恋愛や車に興味がないという若者も多いのです。
資本主義の消費社会においては消費をしないと回らないので困った現象ではあります。
困ったというのは資本主義にとってであります。そうでない社会に移行するのであればそれは問題にはなりません。
人間を除く動物達の世界では「自分に必要な分だけとる」ということが当たり前です。ライオンなども必要以上に獲物を捕るなんてことはしませんよね。もし、したとしても冷蔵庫はありませんし腐らせてしまうだけです。
自分の収入に合わせて不必要な消費をせず、周りと比べることなく精神的にも楽に生きることはこれからの時代必然的なことかもしれません。
そのように考えれば、今の若者の生き方は時代の流れ的にはなんらおかしなことではないのかもしれません。
この時代の若者はテレビにも影響されません。イコール、メディア洗脳されにくいということ。
H&Mのようなファストファッションも環境に悪いため世界の若者にそっぽを向かれつつあります。
若者は凄い可能性を秘めていますね!
人間は相手の年齢や性別など関係なく学べますね。
お金ではないものが人生を豊かにする可能性をもっと探らないといけない時代なのだと思います。
マスメディアによる偏った物の見方はなるべくしないように毎日生きたいものです。