貧乏を芸術に昇華させるつげ義春先生の生き方を参考に人生を楽しむ
つげ義春氏は知れば知るほど浮世離れしているというか修行僧というかもうそうれは神がかっていらっしゃいます。
彼のちょっと前までのの年収は100万くらいだっとと聞きます。奥様を十数年前になくし、統合失調症の息子さんのお世話をしながら暮らしていらっしゃいました。
2022年に3月に日本芸術院の会員に選出され、その立場が非常勤の国家公務員になり死ぬまで年間250万円の年金が受給できるようになりました。
これで野垂れ死には避けられたと思った人は大勢いることでしょう。
私ワープア太郎の中では仙人というイメージのあるつげ義春氏です。
つげ義春氏の生い立ちと半生~小卒から働き詰めの人生
1937年10月30日生まれの2016年現在84歳。
板前の父、飲食の商売をする母、幼少期は割りと裕福でした。しかし幼稚園の頃からもう自閉症的気質はもっており集団生活になじめない人だったようです。
5歳で父を病気で亡くしてしまいました。お母様は軍需工場に勤め母と兄弟3人の4人で四畳半暮らしとなってしまいます。
戦争経験⇒母としけモク拾い⇒母再婚義父最低DV男?
義祖父は泥棒家業。
小学生ながらセルロイドおもちゃやアイスキャンディーの売り子を経験。小学校卒業でメッキ工場の見習い工となりました。
15歳でニューヨークへの船での密航に失敗。海が好きで船員になることを夢見ていました。18歳で漫画家デビュー。
破滅的な暗さと絶望感、虚無感がつげ作品の魅力ですが大衆に受け入れられず苦戦します。赤面恐怖症で
人と会うのに恐怖を感じるので自分を売り込む度胸もありません。
精神的にも悪いループに入ると漫画を描くことに身が入らず生活が困窮して血液を売ったりしてその場を凌ぎます。
25歳睡眠薬で自殺を図るも失敗。28歳ごろから井伏鱒二に傾倒して旅に夢中になる。
30歳ごろから一部のマニアには支持されるようになる。
31歳のときの「ねじ式」が社会現象に。
↑映画にもなった「ねじ式」「ゲンセンカン主人」などが収録されています。
そんなこんなでつげ先生の人生を振り返っていたら終わらないのでウィキペディアを参照されたし。
貧乏旅行記の冒頭がいきなり常軌を逸している
昭和43年初秋。氏の漫画ファンであるという2、3度手紙をやり取りしただけのバツイチで看護婦をしている女性に結婚するために会いに行く。
「どんな人かなァ」と私は想像してみた。
「ひどいブスだったら困るけど、少しくらいなら我慢しよう」
と思った。
新潮文庫 新版 貧困旅行記p10
離婚をした女性ならば気が楽できっと結婚してくれるだろうという何の根拠もない予測のもと20万円ちょっとの有り金と時刻表をポケットにいれて東京から新幹線で九州を目指します。
これは小説ではなく紀行文であります!
昭和40年代から60年代にかけてつげ氏自身で取られた写真がぱらぱらと乗っています。数点イラストも拝むことができます。
九州道中、名古屋で紀勢線に乗り換えて三重松坂で一泊。翌日大阪に行き九州行きの列車の発車時刻を待つ1時間のあいだに
「やっぱやめようかな」
と九州に行くのを迷う氏なのでありました!?
奇想天外な行動力を持つ男はいとも簡単に真逆に舵を取ります。
小学生のキッズ達って前向いて歩いていたらいきなり振り返って向き変えてこちらに突進してきたりして我々をびっくりさせますよね。
あれと似たようなところがあって、氏はそういった子供心を手放さないで現在も生きている御仁であると私は思います。
はたして九州へは到達できたのでしょうか。これはあなた様に是非読んで確認してほしいので結末はいいません。
けれども氏は見るもの見るものにまるで子供のように目と思考を奪われ、その場その場で大胆に行動を決定しています。
凡人がこれを真似るとにっちもさっちもいかなくなりますが、氏はそれを芸術に昇華させることができますし生き方そのものがアートであります。私自身も貧乏であまり失うものはありませんから見習って大胆に楽しく生きたいと思います。
つげ義春氏の夫人藤原マキさんは芸術を愛でる女性
マキさんは唐十郎氏主宰のアングラ劇団で活躍なさっていました。
1975年に二人は結婚します。できちゃってうまれちゃった婚です。38歳と34歳。当時にしてはかなりの晩婚ではないでしょうか。
貧乏旅行記の中の奥多摩貧行で奥さんとのやり取りを読むことができます。
1985年。義春氏48歳、マキさん44歳、息子さん10歳。
息子さんにせがまれゴールデンウィークに東京都本州唯一の村である檜原村へと出かける。
宿屋を予約する習慣のない氏でありましたが、連休中ということで国民宿舎を前もって予約する。
貧乏が染み付いている氏ですらわびしさを感じるような宿に親子3人で泊まります。粗末な夕食を皆でおかわりする。小さくて汚い風呂に3人一緒に入ります。
誰も悪いことをしていないのに家族全員罰ゲーム。読んでいるとそのように感じてしまいます。
次の日氏は帰宅しようとするのだか二人に奥多摩に行こうと言われて仕方なく小旅行を続けます。氏は近場で2泊もしたくなかったのです。
2泊は想定外だったのでもちろん予約しておらず、夕方になっても宿は決まらなかったが人の助けも借りてようやく青梅街道沿いの五州園という割烹旅館に泊まることになります。
6000円以上の宿に泊まったことがない3人の狼狽振りが痛々しく切なくなります。
逆引き寄せの法則を地で行くつげ義春氏
漫画家時代は電話をひいておらず居場所も分からなくなるため連絡手段は雑誌からの呼びかけであったりしました。
特定の人とつるんでいなかったので連絡の取りようがなかったのでしょう。つまりこちらからも人を頼らない。どれだけ困っていたとしても。
私自身もそういうことろがあるので共感します。
寝る前に悲観的なことを夢想する癖があったり乞食願望があったりも氏はします。
幸福でないものを自分に引き込もうとする節が見られます。
悪いもの引き寄せの法則を利用しているようです。
ただその気質が作品にペーソス満載で得体の知れない味わいを与えているに違いありません。
そしてそれは人間が誰しも持っている心の奥底にある決して解消されることのない不安を言い当てているような気がします。
その中にも外にも向こうにも救いはありません。
しかしそのど真ん中にあえて身をおき、出来る範囲でじたばたし日々を淡々粛々と過去に追いやることが彼の願望でもあるような気がするのです。
何か宗教的な神々しさを感じてしまいます。
それでも日本芸術会員になって250万円の年金を終身で受け取ることができ人生のソフトランディングを決めました。他人事でありながらほっと胸を撫で下ろした次第です。