天職は金融業、安田財閥の祖。銀行王安田善次郎の実業家魂
日本の四大財閥安田財閥の祖安田善次郎の生い立ち
善次郎の父安田善悦は祖先が公家の出身であることを誇りに貧しいながらも懸命に生きる人でした。
いずれ富山藩で武士の株をとり生活を楽にすることが父の夢。
とにかく健康でいて欲しいという母千代の願いもあり(上の男の子二人は早くに亡くなっていた)岩のように屈強にと岩次郎と名づけられました。
父から教えられたことは勤勉、貯蓄、目標を設定する、そして目標に対して行動するという4つのことでした。
父の教え4つを守って大成するには武士の道ではなく商人の道であると寺子屋を終了する12歳の頃には思うようになっていました。
貯蓄はケチでするものではなく目的を達成するために行う
善次郎は非常に達筆であったため大人の恋文や写本など代書屋としてのアルバイトを十代ですることができました。
そのお金をこつこつと貯めて江戸に行くために資金とします。善次郎には商人として成功して大富豪になるという目的がありました。
上級武士に生まれただけで生活が保障される世の中の不平等さに強く理不尽を感じていました。
武士としての地位をお金で買い、位の低い武士として野良仕事を朝から晩までしている父親を尊敬しつつも自分はその跡目を継がず商人になる決意をしたのでした。
最初の本格的なビジネスは玩具店での修行
最初に江戸に出てきたときは家出で、親戚に連れ戻されました。
しかし2回目の江戸は両親に許しを貰った上でのものでした。
同じ富山県出身の銭湯を経営しているおばあさんの世話になり玩具屋さんでの奉公を始めます。
玩具屋に将来なりたいというのではなく、その商売を通じてビジネスの本質を会得したいという野心が善次郎氏にはありました。
江戸の地理を頭に叩き込むこと、お客目線でお客の喜ぶものを提供すること、子供ももちろんだが、親を取り込むことなど学びました。
それでも玩具屋ではお金持ちにはなれないとも考える善次郎氏でした。
何のために金持ちになりたいのか
世の中金です。金がなくては何も始まりません。
善次郎の周りにいるものは江戸っ子らしく宵越しの金はもたずに借金してでも吉原で遊んだり酒を毎日かっくらっています。
ですが、その日を楽しくいきている。支払ができなければヤクザ者に追われ、殺されることもある。
自分は大金持ちになりたいが、なぜだと問われると両親を楽にしたいくらいの思いしかありません。
色々人と交流することで、人様の役に立てる仕事でこそ金持ちになる意味があると考えます。
そして仲間を作ってお互いに切磋琢磨しながら一流になろうと努力します。
成り上がりにでてくる奉公先の主人との対話
主人の道とは手代たち奉公人を神となす。店は、
お前達が一生懸命働いてくれればこそ成り立って
いるのだから、主人である私にとってお前達は神様だ。
主人が奉公人に真心をもって接することこそ商家が
栄える秘訣、すなわちこれこそ主人の道であり経営の
真髄である。
このような考え方こそ今の時代必要だと思います。
セブンイレブンを中心としたコンビニ業界や居酒屋チェーン店のやっている正反対の道です。
そのようにして相手と信頼関係を結び真心で接しながら相手の望みに応えることでとんでもない力学が働き上に上りつめることもできるといいます。
妻チカとの結婚、母千代の死と新たな決意
富山の安田家の再興を第一の希望としながらも母を安心させるために江戸の名門商家の娘に入り婿として入った善次郎でしたが、夫婦で富山に行く前にに母千代はなくなってしまいます。
母のためにも大富豪になりたかった善次郎は目的を見失いますが妻チカに支えられ亡き母のために今一度大富豪に
なる覚悟を決めるのでした。
文久銭投機に失敗して全てを失う
1850年代の江戸、銅の価値は日本でよりも中国で高かったので銅は中国に輸出され、国内の銅銭はまぜものが多く質の悪い文久永宝が出回りましたが、江戸では額面の四文の価値がありませんでした。
しかし、富山では額面通りの四文で流通していました。ここに目をつけた善次郎は金主から金を融通してもらい
文久銭を買いまくって富山に持っていって売ろうとするのですが雪が酷く途中で断念し江戸に引き返します。
奉公先からは解雇され、婿入り先からも絶縁されてしまいます。
安田商店開業 第三国立銀行⇒安田銀行⇒富士銀行⇒みずほフィナンシャルグループへ
いちから出直し、両替の仕事を自分で始めます。
働き者の奉公人、働き者の妻と再婚しビジネスは軌道に乗ります。
江戸から明治へと激動の時代と共に安田善次郎が時には大失敗も犯しながら実直な性格を味方に大胆になりあがっていく様子がこの本に書かれています。
金融と歴史の両方を学べる大変よい御本でございました。