日本のお金の歴史のはじまりは和同開珎から、その価値と値段は?

2018年6月26日

708年朝廷は和同開珎の鋳造を始める

世界最古の鋳造貨幣は現在のトルコ辺りにあったリュディアで造られたエレクトロン貨でした。

リュディアのエレクトロン貨(BC670年頃)

日本最古の鋳造貨幣は富本銭。AD680年頃。リュディアのエレクトロン貨から1350年ほど隔たりがあります。

和同開珎が造られたのは708年から715年の約8年間が和銅という元号でした。

時の天皇は女帝元明天皇。奈良時代です。


あまり綺麗な方ではありませんね。

とにもかくにもこの元明天皇のときに我が日本国初の貨幣の鋳造が始まったのでした。

その前にも富本銭があったとされ、歴史の教科書も書き換えられたりした時期もありましたが、日本の広い範囲に流通した通貨としては和同開珎がはじめてという説は覆っておりません。

それ以前の日本では米や布などがお金の換わりに使われていたものと考えられています。

物々交換用の物品は自然貨幣といいます。世界でも石や貝殻、動物の毛皮、鳥の羽、亀の甲羅、塩など、そしてぎょっとするものでは奴隷なんかも自然貨幣としてお金の代わりに使われていました。

和同開珎の価値と値段

現在から1300年も以上前に造られた和同開珎はどれくらい珍しいものなのでしょうか。どれくらい現存しているのでしょうか。もし持っていればいくらくらいで売れるのでしょうか。

古銭にはロマンがありますね!

和同開珎の場合保存状態が良ければ一枚で100万円になることもあるのだそうです。

上の画像のように終わりがハネてあるものの方が止めてあるものより高値で取引されています。

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によりますと、和同開珎の相場は9万円位のようです。

蔵から木箱に入った和同開珎がざっくざっく出てきたら1000万ほどにはなりましょうかね。

1000万円といえば2012年の開運なんでも鑑定団で2万円で購入した富本銭が1000万円の価値がついた回がありましたね。1枚で一撃1000万円です。

中国の開元通宝をお手本に和同開珎は作られた

中央の穴が正方形となっていますね。

開元通宝は唐の時代(621年)からのスタートです。

この貨幣はなんと300年間も普及し続けたということで、日本がモデルにしようとした頃にはもう100年近く普及していたことになります。

たった5年で鋳造が中止されてしまった万年通宝

万年なんて大袈裟な名前がついているのに僅か5年で鋳造中止は悲しい運命のお金です。

これまでは米や布や特産品で物々交換をしていました。

そこに和同開珎なるものが世に現われて、それをお米が布が交換できるようになります。

思い品物を持ち歩かなくてもよい!というメリットよりもそんな小さな金属に物品と同等の価値があるのか、当時の庶民はおっかなびっくりだったことでしょう。

和同開珎を普及させるために大量の銅が必要になりました。

そして銅の供給が追いつかなくなったときにこの万年通宝が作られました。

「はい、万年通宝は和同開珎の10倍の価値ね!」

材質も重さもほとんど変わらないのに10倍の価値がつけられた万年通宝は信用性に欠け、享年5年で帰らぬ通貨となりました。

例えば100円玉をなんとか偽造して1000円玉になるようなものですから器用な人達はこぞって偽コイン作りに励んだことでしょう。

銅不足はまさにどうにもならなくて、朝廷はその後12種類のコインを鋳造するのですが、どれもこれも価値が定まらず、普及に失敗します。

しかし現在の価値では和同開珎よりも高く取引されているようです。詳しくは

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乾元通宝でいったん硬貨の鋳造を停止打ち止め

900年中ごろ、時代は平安時代となっていましたが、相変わらず銭貨の普及は広まらず、この乾元通宝でいったん朝廷は貨幣鋳造を断念します。

今は普通に貨幣が流通していますが、平安時代は貨幣というものが存在しつつも一旦以前の物々交換に戻るという現代ではあり得ないことが当時起こっていたわけで非常に感慨深いです。

キャッシュレス社会になりつつありますが。

最近ではメルカリなどを主にするリサイクル品を回したりブランド物をレンタルしたり、民泊だったりという流れも、新たな価値を創造して消費するのではなく、もともとあった物を売買貸借するというのはこの平安時代に起きた流れと少し似ているように思ったのでした。

このページは中学生の方が歴史の勉強で検索して訪れてくださるかたもいるようです。ご縁ですので若者に人気のバンドルカードの恐ろしさを学んでくれると嬉しいです。

たまには歴史を振り返るとそこに盲点だったビジネスチャンスを見出したりします。

人間死ぬまで勉強ですね。

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