産業革命時の労働者環境がいかに劣悪であったか。今後AIと人間の関係は?
産業革命時の労働者環境がいかに劣悪であったか。今後AIと人間の関係はどうなるのか?
蒸気機関による第1次産業革命から、AIによる第4次産業革命まで我々人類は常に新しい技術を求めて歩んできました。
その結果人々の暮らしは良くなったのか。はたまた人は過去より幸せな状態にいるのか。そのようなことも鑑みながら進めて参りましょう。
産業革命前と後で世界が変わってしまったように、新型中共コロナウイルス前と後の世界もまったくもって変わってしまうことをここに覚悟しておかねばなりませんね。
産業革命以前の人々の貧しいながらも牧歌的なくらし
産業革命前のヨーロッパはアメリカでは10人中9人が田舎、農村、地方に住んでいました。
階級構成はごく一部の富裕層、それほど多くない中産階級、そして最も多かったのが底辺の労働階級でした。
ほとんどの人々は自分の家の周りにある農場で自給自足のような生活をしていました。
電気、電話、映画、録音された音楽、車も何もありませんでした。
日の出と共に起き、日没と共に寝ていたので、時計も必要ありませんでした。
産業革命前の生活は騒音のない静かな世界でした。機械はありませんし、ほとんどの仕事は人間の手で行われていました。
車や電車もありませんからそれらが発する騒音もありません。
時間の流れも歩いたり馬に乗ったりしての移動ですからとてもゆるやかでした。
公共教育もないので、ごく一部の人だけが文字を読むことが出来、栄養状態も悪かったので今日のように人々は長生きしませんでした。
ですが日々様々なものが進化し、世の中が目まぐるしく変化するなかで時間に追われて必死に労働して80歳、90歳と長生きする現代とゆっくり流れつつ終える60歳の人生のスピードはそれほど差がないのかなと思ったりしてしまいます。
産業革命で田舎から都市部への人口が集中した
イギリスを中心にヨーロッパでおきた産業革命は人類の発展に大きく寄与しました。
産業革命の前に農業革命が起き、家畜の餌であるカブや牧草が一年中栽培できるようになったため、家畜も一年中育てることができるようになりました。
その結果食料が多く供給されるようになり、人口も増え、労働人口も増えることになります。
農場でも機械が使われるようになると農民が以前ほど必要でなくなります。
そして産業革命で大きな工場がどんどん増え、農民やその他の労働者が工場に押し寄せました。
ジェームズ・ワットの蒸気機関の発明により、蒸気機関車、蒸気船の出現、紡績工場などの動力源になりました。
1750年は都市部に住む人々は全体の15%でした。しかし100年後の1850年には50%と激増し、1900年にはイギリスの人口の85%が都市部に住んでいたのです。
1900年、ロンドンに450万人、綿工業が盛んになったグラスゴーでは76万人、鉄道交通の要所となったリバプールに68万人、綿織物工業のマンチェスターと鉄道と運河のバーミンガムにはそれぞれ50万人の人々が生活するようになりました。
機械化によって労働が単純化されたため、女性でも子供でも働くことができるようになりました。
劣悪になる都市部の環境、衛生状態は最悪
工場からモクモクと環境破壊物質が垂れ流され公害も出てきます。
人口過密による住宅の不足。狭い部屋に大人も子供もすし詰めで生活しました。
子供も含め家族全員で働いているにも関わらず、小さなアパートですら1家族では家賃が払えず2家族以上でシェアすることも日常的でした。そのことによる衛生面の悪化も深刻でした。
労働者のために突貫工事で作ったような粗悪な建物周辺はスラムと化しました。
工場の経営者はカンパニータウンという労働者のための低家賃住居を世話することもありましたが、首になるとそこから追い出されました。
現代の日本の派遣切りと同じです。食うためだけの労働で貯金ができないと住居を追い出されれば路頭に迷ってホームレスになるしかありません。
カンパニータウンは工場や炭鉱のすぐそばで隣の建物と隙間を作らず、そして窓も必要以上に作らなかったため、光も入らず喚起がしにくい構造でした。
糞尿はストリートに捨てられ、夜間に業者によって持ち運ばれました。
過酷な労働条と怠慢に対する罰則が労働者を苦しめました。1832年にはコレラが流行り31000人が死亡しています。
また結核は1800年から1850年に死んだ人間の3分の1を占めていました。
結核は昔の病気というイメージがありますが、全くそんなことはありません。先進国の結核罹患率をWHOの2016年データでみてみましょう。
(厚生労働省平成27年結核登録者情報調査年報集計結果より)
近年日本でも世界でも健康管理をしていないホームレスの増加が結核の増加の一因とされています。貧しさ由来の病気とも言えます。
このイギリス産業革命時代、資本家がいかに非人間的な生き物であるかが最も露呈した時代ではないかと思います。
大人の男性労働者でも低賃金長時間労働だった
貧しい農村の人々が都会の工場へとなだれ込んできましたので職を求める行列があちこちで出来ていました。
この究極的買い手市場で資本家たちは低賃金長時間労働を労働者に強います。
ほとんどの工場労働者は習熟度が低い機械になれていない人々だったので週8ドル~10ドルで働いていました。
一日の労働時間は14時間から16時間。ブラック企業は昔からあったのです。
これは時給換算すると時間当たり10セントとかになります。機械に習熟している労働者はもう少し稼げましたがほんのちょっぴりの上乗せでした。
昔のこととか他所様の国のことと片付けることもできません。
現代で言えば日本人のブラック企業もそうですが、ベトナム人などを一般の日本人達と触れ合えないように隔離して技能実習とは名ばかりの単純作業を低賃金かつ残業手当なしでこき使って失踪させている酷い企業が我が国にもあります。
女性労働者の給料は男性の三分の一子供はそれ以下
アメリカノースカロライナ州の紡績工場で働く少女(1930年代)
機械中心ですから、力のいらない仕事もたくさんありました。
そのような仕事は女性や子供にあてがわれるのですが、女性というだけで賃金は男性の半分から三分の一、子供となるともっと低くなりました。
この頃の子供達は教育といえば週一回の日曜学校で、仕事の仕方やキリスト教について少し学ぶ程度。食事も栄養の行き届くものは与えられず、空腹を満たすためにドラッグを使用する子供もいました。
ケニアのナイロビではストリートチルドレンが今でも空腹を満たすために接着剤やジェット燃料を吸引しています。
機械を回す上で必ず必要な仕事でしたから、本当はもっと賃金をだすべきですが、女性、子供というだけで大幅カットできましたから、もうそれこそただみたいな賃金でこき使うことができたので資本家は笑いが止らなかったことでしょう。
血も涙もないとはこんなことを言うのでしょう。人を人とも思わず擦り切れるまで酷使することは悪魔の所業といえましょう。このようなことは選民思想をもっているからこそできるのではないかと思います。
1960年代の初頭、イギリスでは繊維産業全体の労働人口の5分の1が15歳以下の子供でした。
子供の長時間低賃金労働が労働組合結成のきっかけ
「働くか暴動か、そのどちらかだ!」
スローガンが痛々しいです。それほど皆資本家に追い詰められていたのです。
19世紀イギリスでは25~33%の子供が5歳未満で死んでいました。貧困による栄養失調です。
イギリス政治家ロバート・ピエールが1802年になってようやく児童労働問題にメスを入れ児童労働に関する法律をとりまとめました。
富める者がもっと富む一方で小さな子供も含む一家総出で働いても一向に暮らし向きがよくならない。暴動が起こって当然です。
実際イギリスで1811年から1817年頃ラッダイト運動という社会運動がおきました。
織物職人の仕事を奪ってしまった自動織機への破壊活動です。
これらの機械の類は長期的にみると人々に価値を与えることとなり結果的に中産階級が生まれたと資本家の方々はいいます。
産業革命の時と同等の搾取を行えば大変なことになるのは明らかです。我々は歴史から学び知恵をつけています。
現在の搾取はもっと巧妙なものです。
しかし中産階級などというものが世界的に喪失しつつあるなかで今度はAI(人工知能)の台頭。
日本の産業革命は明治時代に始まりました
きっかけは戦争です。まず日清戦争で軽工業が、そして日露戦争で重工業が大きく発展することとなりました。
軽工業は世界遺産の富岡製糸場、愛知紡績所、品川硝子製造所(いずれも官営)などが外国から機械を輸入して営業されました。
重工業は長崎県の高島炭坑(三菱財閥)が日本で初めて蒸気機関を利用した炭坑となり、同じく長崎県の軍艦島としておなじみの端島炭坑(三菱財閥)や福岡の三池炭鉱(三井財閥)へと広がっていくことになります。
AIやロボットは我々の仕事を奪うのか
ラッダイト運動になぞり、AIで人間の仕事は奪われないと主張している方も大勢いますが、それはやはり資本家の論理なのではないかと思います。
野村総研とオックスフォード大学の研究チームが2015年に明らかにしたことは、今後10から20年後にかけて日本の労働人口のやく半分が人工知能やロボットによって代替されてしまうというものです。
各種運転手や工員、そして事務仕事などのホワイトカラー層の仕事もなくなるとされています。
クリエイティブではない仕事は生き残れないとされています。
定型的な仕事や単純作業は全てAI、ロボットに代替されることは近い将来必ず起こるでしょう。
一番良いのは労働はAIやロボットに任せて、税金も彼らが稼いだ利益から支払い、人間が労働から解放されることです。
古代ローマのように。
パンとサーカスという言葉はローマの詩人ユウェナリスのものですが、市民は労働から解放されていて、穀物を無償で与えられ、コロッセウムで見世物を楽しんでいました。
市民や貴族の世話は奴隷がしており、AIやロボットが現代の奴隷となるならば、まさにこの世に楽園が訪れるかもしれません。
ですが、そのロボットの所有者が誰であるかを考えたとき、それが資本家であることがわかり、安閑とできないです。
私たちが労働から解放されるためにはベーシックインカムの実現が不可欠です。そうなると財源は税金で賄わないといけませんから、AIやロボットで稼いでいる企業からより多くとるというシステムになる筈です。
はい、そうですか。というようにグローバル資本家が税金を納めるとは思えません。
現代の奴隷たりうるAIやロボット以下の存在に大部分の人間が陥ってしまう可能性を否定しきれません。
常に最悪の事態も頭の片隅に置き行動するのが好ましい。
そして現段階でのトッププライオリティーは金融リテラシーを身につけることだと考えています。
明るい未来が来ることを切に願っております。